RESIDENT SOULS

 デジタルテクノロジーは中心を消し去った。我々は中心に鎮座する絶対的存在に向かって見つめる事はもうない。テレビはかつて我々にとってほとんど唯一の情報発信媒体であった。スポンサーや政治家の顔色を窺いながら編集され歪められた情報はテレビを通して我々に伝わり、受け手はそれをそのまま信じた。しかし今ではテレビの力は失墜しつつある。この絶対的存在の弱まりの中で、YouTube他ネットの動画コンテンツは何にも忖度しないありのままの事を伝える媒体として踊り出ている。するとそれまでテレビでは流れてこないような多くの真実や人々が表に出るようになった。与えられた一点を皆が見る事はもうない。代わりに多くの物を受信し選び取るのである。中心がなくなる事は周辺のあらゆるものが立ち現われ相対的に多くの物が等しく点在する事になる。このようなあり方は常に自らが住んでいるコミュニティー、土地の事を想起させてくれる。なぜなら自分がいて多くの他者がいるのであり、自分の思想があってそれ以外の無数の思想があるのが世界だからだ。つまり人の数だけ意思があり真実があり数える価値がある。その多くの者たちの轟の下に大地があるのだ。そう、例えば北海道がある。数多の者たちが通り過ぎ去った北海道を幻視する。彼らは今生きている者もかつていた者も死んだ者も含めた相対的な価値の魂である。それを「RESIDENTSOULS」と呼ぶ。そのように見据えた時、一つの点を起点とした透視図法のような、存在の度合いに違いが生まれる立体的世界ではなく、全ての者が同じ存在感を保つような、中心という一点を持たない平面的な世界が立ち現われる。この視座をアナログ肉筆でビジュアル化しようと試みる。これが現代の絵師の企みなのだ。

 

 アイヌがカムチャッカ半島から千島列島を経由して北海道へ渡ってくる前、そこに住んでいた者たちはどんな生活をしていたのか。擦文時代からオホーツク文化期を経由して縄文時代へとタイムスリップし、かつて北の大地に住んでいた者たちの息遣いを幻視する。今現在生きている我々以外は皆、それまでそこに住んでいた者であり、彼らの魂は等しくこの大地に潜み我々が持つ畏敬の念の中に今は生息している。囚人道路で息絶えた者たち、タコ部屋の労働者たち、鎖塚に葬られた囚人たち、シャクシャインの戦いで散ったアイヌたちと和人たち、はたまた護国神社に眠る沖縄戦で息絶えた北海道出身の兵隊たち。無数の魂たちが今を生きる我々と共にこの大地に根差して生きている。北海道アイヌ協会という権威が通過させたアイヌ新法の「先住民族アイヌ」という起点では、アイヌ文化が現れる前の住人を消滅させ、数多の相対的存在が浮上してこない。

 

 竹を割ればきれいに二つに割れる。左側の外皮、右側の外皮、その間は空洞。この空洞は何もないゆえにあらゆるものを宿せる空間である。その空洞に花を挿せば花瓶になり、ペンを入れればペン立てになる。日本最古の物語はそこに輝かしい赤ん坊を想像した。中空構造という考え方がある。日本神話の三神は大体が真ん中の神を語らない。タカミムスビとカミムスビの間のアメノミナカヌシ、イザナギとイザナミの間のツクヨミなど両脇の神に比べてほとんど語られない。東京の中心は皇居という空洞。神社の中は神が立ち寄る空洞。中心はこのように「ない」という状態が日本には多くあるという考察である。天皇と将軍(政府)の両立も中心をはっきりさせない制度である。このはっきりしない中心は場合によっては曖昧さを生み出し、他者とのやりとりの上で交渉のしにくさを生む。しかし一方でこの真ん中の空洞を保つことに大きな意味を見出してきたのも多分にあると思われる。空は「ない」ゆえになんでも幻視可能なエネルギーの溜まるところなのである。ここに自由と数多のあり方の可能性を見出す事が出来るのだ。スパっと割れた左と右はさして重要ではない。左を主張するも右を主張するもこれらは反発したままだ。この間の空洞にこそ存在や考え方、思想のグラデーションを見る事が可能となる。それはもう無数にある。

 

 神もカムイも八百万であり、世界は複雑な住人構成で出来ている。先住民族があって後は後進民族というだけでは成り立たない。そこにこだわる事はあまり意味がない。先ほども挙げたように、数え切れない種類の者たちがこの北海道にはいたのであり、そこに中心とそれ以外といった区分けはないし、無数の者たちが出ては入った足跡の抽象画がこの大地の表情なのだ。

 

 デジタルテクノロジーが中心を消滅させた。するとそれまで隠れていた周辺の無数の存在が姿を現した。今、この一点透視図法のような立体絵画から中心のない平面絵画に置き換わったような世界観を我々は頭にインストールしなければならない。現代の絵師として藤谷康晴は、この北海道という土地を幻視し、かつての住人、動物、神やカムイ、魑魅魍魎、そして今生きている我々を、数多の魔物たちに置き換えて平面に表現する。描かれた魔物たちは二つとして同じビジュアルを持たない。そして平面上で等しく存在する。デジタルテクノロジーが生み出したこの新しい世界の提示に、アナログ肉筆側から答えようと試みる。全ての存在が唯一であり、無数の彼らで構成される。それが「RESIDENTSOULS」である。